株式会社センショー
堀内麻祐子社長の略歴
1932年創業のめっき加工会社の3代目として事業を引継ぎ、
2011年4月株式会社センショー設立、代表取締役に就任。
「女性だからといって出来ない事は何もない」という考えのもと2014年から女性活躍推進に取組む。
2015年 大阪府鍍金工業組合 創立100年で初めての女性理事に就任。
2017年 全国鍍金工業組合連合会 女性経営者部会 会長に就任。
2018年より大阪市中小企業対策審議会委員、全国中央会女性部活性化委員会委員
2019年 厚生労働省 臨時労働委員 中央最低賃金審査会委員を歴任。
『大阪市女性活躍リーディングカンパニー』認証取得企業。
ー堀内社長は元々継ぐおつもりだったのですか?
(堀内社長)
元々2年ほど働いていました。父が亡くなってセンショーを設立したんですけど、父が専務で、叔父が社長をしていました。
社長が病気で倒れて、専務の父が社長の代行していたのですが、父が亡くなって、どうしようもなくなって継ぐことになりました。
ー事業を継承された時はどのような想いでしたか?
(堀内社長)
町工場で、場所もイメージの良くない西成区で、しかもメッキっていう一般的に知っている方も少ない業種で。
やっぱり若い社員の子たちが集まらないですし。
町工場って年配の男性が多いイメージがあると思うんですが、私が引き継いだ時も年配の方がいっぱいで。
「暗い、怖い」そういう工場だったんですけど、
若い人たちが「就職したい」「ここで働きたい」と思ってくれるような工場を作りたい。その気持ちですね。
ーインターンシップ生の受け入れもその想いから始められたのですか?
(堀内社長)
竹原さん(同席されていた総務部の方)がインターンシップ一期生で。
数年前に大学に行きながら、3ヶ月はインターンシップ、3ヶ月アルバイトでうちに来て、
そのまま卒業と同時に就職をしてくれました。そのときはまだ全然女の子がいなくて、暗い製造業の町工場に女の子を採用して、
「新しい風を吹かせたい、イメージを変えたい」というような気持ちでした。
最初は女性のインターンシップ生を是非採用したいですということで紹介をしてもらったんです。
ー竹原様はものづくりにもともとご興味がおありだったたのですか?
(竹原さん)
就職活動中は特にものづくりに絞って見ていたわけではなかったですね。
インターンシップで実際にみなさんと一緒にお仕事した上で、ここで頑張っていきたいなと思って就職しました。
ーインターンに応募するまでの不安が大きいと思うのですが…
どうでしたか?
(竹原さん)
そうですね。
インターンシップ参加するまでものすごく腰が重くて(笑)
一緒に活動していたわけではないんですけど、きっかけは友達に誘われてでした。
あの子が参加するなら参加しようかなっていう気持ちで参加しました。
ー社内報である「SENSYO NEWSPAPER」、FacebookやYouTubeチャンネルが開設されていますよね。
(堀内社長)
「SENSYO NEWSPAPER」は竹原さんが入社した時に始めました。女の子が来てくれたからこそ社内報を始めて。
名刺交換した人にしか配信していないんですけど、メルマガを毎週月曜日に配信していて、それも250回くらいしています。
事務系女性が毎週交代で配信しています。1000件くらいに配信しています。
Facebookも、もともとは女性社員がアップしてくれていましたが、今はヴォルニーさん(同席されていた社員さん)がSNS担当で。
ホームページもマーケティング系、動画の作成も全てやってくれています。
ー見やすいホームページだと思っていました!社内報は社長発信で始まったのですか?
(堀内社長)
最初は一回作ってみてって言って始まったんですけど、今は出来上がった完成系を見せてもらうだけです。
みんなでネタを探しています。ネタ作りは私の仕事です。
ー御社の魅力はどのように感じていますか?
(堀内社長)
御社の強みは何ですかとよく聞かれるんですが、
それはずっと「社員」と答えています。
働いている人たちがセンショーとしての会社の強みです。
ー社員さんの採用についてですが、ホームページでは前向き、好奇心旺盛の人を募集していると書かれているのを拝見しました。
何か理由があるのでしょうか?
(堀内社長)
仕事も勉強も好奇心ってすごく大事。仕事になると特にだと思うんですけど、例えばうちの場合メッキという加工をしているなかで、
不良品が出ることもあるんですよ。不良じゃなく、きれいにできあがったときにも、すごくちっちゃなことにも、
「なぜ」っていう気持ちがあると、自分で色んな事を調べたりとか、人に聞いたりして、どんどん自分の身についていく。
「じゃあこうしたらどうなの」と思うことで、幅も広がっていく。
好奇心がないと、ただただ毎日言われたことをルーチーンでやっているだけってなり、楽しくないと思う。
だから常に仕事だけじゃなくて、色んな事に好奇心を持って取り組む人が来てほしいなと思っています。
ーどのような人が評価されて昇進される人事制度を取られていますか?
(堀内社長)
まだきっちりとした制度はなくて、ほとんど上司評価になってしまうんです。頑張っているのはみんなすごく頑張ってくれています。
その中でも、役職がつく人(最初はリーダー、班長、係長、課長)は、相手の立場になって考えられる、
後輩を一人前に育てられるような方。人間性を重視しています。
ー人間性を大事にしてほしいという想いで
皆さんと関わっていらっしゃるのでしょうか?
(堀内社長)
そこだけです。仕事は毎日やっていたら勝手に覚えるからね。
大阪糖菓
昭和15年創業のコンペイトウを主に造っていらっしゃる企業です。昭和30年頃は大阪府内だけでも約40社のコンペイトウメーカーが存在していましたが、新たな菓子の登場などにより市場が縮小し、現在では全国で10社未満にまで減少しています。
グラニュー糖1粒がコンペイトウの赤ちゃんであり、蜜がけと乾燥を繰り返すので他のお菓子よりも製造日数がかかるそうです。1日1mm大きくなり、10~14日でコンペイトウになります。角の生え方や透明感などの見た目は職人によってかわる面白さや難しさがあります。
大阪糖菓といえばコンペイトウの手作り体験だと思いますがミュージアムは平成15年から運営しています。会長が少子化、人口減少の観点から実際に製造工程や歴史文化を伝えることでコンペイトウの価値を感じてもらう場所をと考え、南蛮文化が伝わったところである堺と本社がある八尾に、平成24年にはシュガーロードの通り道である福岡にコンペイトウミュージアムを設立しました。
【どのような人に喜んでもらいたいのか】
コンペイトウを通じてご年配の方は小さい頃を想い出して懐かしいとよくおっしゃいます。今の小さい子供さんにも大人になってから懐かしいという想いを感じてもらえるよう、小さい内にコンペイトウに触れてもらって、想い出の1ページにコンペイトウがある、そんな風にしたいです。
【変わり種のコンペイトウを作り始めたきっかけ】
着色料や香料は今限りなくある。そして、みんなに受けるものではなく、コアなファン作りを目指して、ユニークでオリジナルなものを作ることをモットーに、他社さんが真似できないものを作り続けていきたいと考えています。
【アイデアはどう出しているか】
会長の時は10個やってみて1個でも成功したら良いという考えで、今はその成功率を上げられるようにスタッフの意見も取り入れながら改良を加え、アニメやゆるキャラなどさまざまなことに挑戦しています。カオス状態になることもあるけれども軸にコンペイトウがあってバラバラの点と点が最終的に線で繋がると信じています。食べることだけにとらわれずアクセサリーなど違うところの発想をしていきたいと思っています。新しいアイデアは現在、社長発信で始まることもありますが、スタッフからのアイデアも採用し、スタッフとともに作り上げていっています。変化に対応しながらアイデアを生み出す力を会長から受け継ぎ、いろいろな人との出会いを大事にし、同じ業種の方だけなく違う業種の方とコラボして面白い何かを生み出していきたいと考えています。コロナで業態変化はせずに、コンペイトウを軸に展開していきたいです。
【今後の展望やこれから】
一般的なお菓子と比べ、製造工程や歴史文化が長いコンペイトウの強みを大切にして伝え、広める活動を続けていかなければならないと考えています。
今までのようなミュージアムでの手づくり体験なども変化していかなければならず、マスクが普通、必須になってくるのでみんなで作るのではなく、個別に好きなコンペイトウを作られるようにしたり、おうち時間用の体験キットをオンライン販売したり、ゆるキャラであるシュガラブちゃんのおうち訪問サービスなど、時代のニーズに沿った体験を充実させていきたいです